屍者の帝国を読んだのは5か月ほど前、朧な記憶のみが頼り
バイトの休みが不定期なせいで一般的な休日とはかけ離れたスケジューリングで行動中の僕。しかしながら、10月初頭ともなれば「ああ、映画見に行こう」と感じることもあるわけでして、伊藤計劃氏の遺作にして円城塔氏が完結させた『屍者の帝国』の映画を見に行きましたのだ。
原作は一度読んでいるけれども、あまり頭に入らないまま読了してしまったことを後悔しつつ映画館に足を踏み入れた。
チケットを係員に見せると栞を寄越してくれた(できればハダリーが良かったが)。
ぎりぎりに入ったおかげで飲み物も食べ物も調達する間もなかったが、まあ構わない。
以下、ネタバレあり。
さあ、始まりだ。
…
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むむ、フライデーってワトソンの親友だったっけな?なんかホモ臭い雰囲気が序盤から漂い始めている。
あれ、インドで爆発に巻き込まれたのは分かっているけどこんな展開やったか?
そもそも日本に行く理由はヴィクターの手記に絡むのは同じやけどなんかワトソンが躁鬱の激しい人になってるし。「下着じゃないから恥ずかしくない」ってまんまですやん。
けれども、ワトソンが日本軍人と会うくだりはあれですな、『007は二度死ぬ』と全く同じシチュエーションというわけで伊藤計劃が007シリーズを溺愛していたことに対する意識の表れとでも言いましょうか、そんなもんでしょう。しかし、こんなんは僕の同世代では判りづらいですな。自分もたまたまBSジャパンの放送を見たから知っていたわけだし。
あとはアメリカでのくだりがかなり変わっていたなあという印象。ここまで鑑賞を続けているとどうやらこの映画は原作を再構成したらしいとボンクラな僕でも流石に気付く。なにせ、クライマックスの舞台であるロンドンに向かう状況が明らかに変わっているからだ。
一番気になったのは日本からアメリカへと来た船を捨てた場所はどうやら西海岸らしいがその後のノーチラス号でイギリスに向かうという場面だ。僕はノーチラス号がどのルートでロンドンにたどり着いたのかが非常に興味深いことに感じる。
海底2万カイリで海底の穴を通ってスエズ運河を抜ける話があるからそういうことなんだろうか。
ロンドンでの話はまあどうでもいいやホレ(゚Д゚)ノ⌒
エンドロールでキャストにシャーロックホームズが見えた瞬間、最後は原作と同じなのだということを直感的に判断できた。そしてアイリーンアドラーが改めてご登場。花澤さんの若干無理のある気もするが悪くないぞ(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン
ここで感想をば一つ述べるならば何としよう。
やはり、原作者伊藤計劃氏のもし最後まで書き上げていたならこの結末はまずありえないのだろう、そう感じた。もちろん、面白かった(ホモ臭いとも感じられたが)。
『虐殺器官』『ハーモニー』と比べ毛色が違っている時点で円城塔の作品であるとも言えるし、この映画自体が原作を更に書き換えたスタイルであるので最早オリジナル作品のような色合いすらある。換骨奪胎と述べても良いだろうか。
伊藤計劃の文章は1人称で感情起伏はやや乏しいが、この映画のワトソンは結構ヤバい。BL素材にそのままOKサイン出してもいいレベル。インテリで実行力はそこそこあるが押しに弱く、死んだ友人に執着し続けしかし最後は勇気を発揮する。
いやあ、登場人物が男メインというのも拍車をかける。こう、何というか濃厚である。
ここまで評価なのか批判なのかよくわからない文を連ねているが最後に一つ書きたいことがある。
原作でも映画でもフライデーの番号はNobel_Savage_007である。元ネタは不勉強が故ジェームズボンド程度しか察しがつかない。ところで短編集『The Indefference Engine』中のある短編の中では007ことジェームズボンドは実は…という短編が収録されているので読んでほしいなあ、とだけ。実際筆者が関連性を意識していたかは知らないが筆者が一連の作品内で考えていたことの一端を感じられると思う。
The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: 伊藤計劃,岡和田晃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/03/09
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